アユタヤ日本町跡でアユタヤにあった日本町の歴史を勉強してきた

アユタヤ日本町跡
に観光に来た。
アユタヤ日本町跡に入るとすぐ正面に見えるのが「アユチヤ日本人町の跡」の碑。
「アユチヤ」ではなく「アユタヤ」と書かれているのは誤植と思われる。
今日は4泊5日の旅行最終日でカオヤイを中心に楽しんできた。
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カオヤイからの帰りの途中、妻の妹が住むサラブリー県(จังหวัดสระบุรี)による必要があったため、アユタヤにある日本料理店 黒田で昼食を取ってから前回のアユタヤ旅行で行くことができなかったアユタヤ日本町跡を観光する。
アユタヤは、1351年に遷都されてから400年にわたってチャオプラヤ川を使った貿易で栄えた。
ここアユタヤ日本町跡は最盛期には3,000人もの日本人が暮らしていたが、その後隣国ビルマとの戦争により消滅。
アユタヤ日本町跡は公園になっており園内には博物館がある。
博物館の入場料は50バーツ。
営業時間は8:00 - 17:00。
出来事

館内では日本語によるアユタヤ日本人町の歴史がプロジェクターで観れる。
アユタヤに日本人町が形成されたのは14世紀頃で、日本の戦国時代以降に主君を失った浪人が流れてきたために人口が急激に増えた。

16世紀ごろになると朱印船貿易によりアユタヤ日本人町は大きく発展した。

豊臣秀吉の時代になると秀吉に迫害されたキリシタンの流入もあったが、江戸幕府の鎖国政策が始まると日本からの流入が少なくなり18世紀ごろに自然に消滅。

これは「ユデア」と呼ばれるアユタヤの地図で、1633年、オランダ人によって描かれた油絵。
城壁や舗道、網の目のように張り巡らされた運河まで細かく書き込まれており、当時のアユタヤの繁栄が手に取るように分かる。

立派な日本刀。

真新しそうな鎧と兜。

仏頭。

父親は日本とポルトガルのハーフで母親は日本人のアユタヤ人ターオ・トーンキープマーのロウ人形。
アユタヤは世界中の国々と交易があり日本人町の他にもポルトガル人町やオランダ人町もあった。
ターオ・トーンキープマーは両親が信仰していたカトリック教の迫害から逃れるため日本人町の向かいにあるポルトガル人町に移住してきた。
ターオ・トーンキープマーは「トーン」のつくお菓子、例えばトーンヨート(ทองหยอด)やフォーイトーン(ฝอยทอง)の元祖を作った女性として知られている。

園内にある鳥居。

園内に広がる管理が行き届いた日本庭園。

日本人町跡前を流れるチャオプラヤー川(แม่น้ำเจ้าพระยา)。
このチャオプラヤー川をずっと下っていけばバンコクを抜けて海へでる。
最後に一言
園内には当時日本人が建てた建造物が全く残っておらず、ただの記念公園となっている。
今回のサラパオポイントは4点。(全10点満点)
博物館内の展示物は少なくお勧めするほどの観光地ではないが、日本人町の歴史に興味がある方は行ってみてはいかがでしょうか?
基本情報
博物館:アユタヤ日本町跡
入場料:50バーツ
クレジットカード:不可
住所:
Kamang, Phra Nakhon Si Ayutthaya District, Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000, Thailand
駐車場:有
営業時間:8:00 - 17:00
定休日:無
地図
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